Donovan’s Greatest Hits / Donovan


日本での評価が必ずしも本国における評価と一致しないミュージシャン、あるいはアルバムというものがある。ひとつは音楽的文化の違いで、日本人には受け入れ難かったり、あるいは逆に本国以上の人気を博したりすることがあるだろう。まず日本で評判になってから本国で成功したグループの例もある。また、日本へ紹介される時期がずれたために、正当な評価を得られない場合がある。斬新な音楽性を持っていたが、続くフォロワーの方が先に日本へ紹介されたために、オリジナリティが正しく評価されないというケースだ。あるいは、ライブによって実力が発揮されるグループの場合は、来日公演を行わない限り、その良さが判り得ない、といったこともあるだろう。さて、このドノヴァンの場合はどうだろう。

ライナーには、1967年に日本でリリースされたアルバム「メロー・イエロー」の解説に書かれた「一昨年、私がイギリスへ行った時、当時ロンドンで一番人気があったのがビートルズ、次いでストーンズ、そして3番目がドノヴァンでした」という星加ルミ子による言葉が紹介されている。 またロックファン向けの書籍には、ドノヴァンをもっと評価すべきだ、という記述も多く見られる。だがロックというものは人によって受け止め方が違うし、流行り廃れも激しいものであるから、どういう評価が「正しい評価」なのかは、なかなか難しい。

アルバム解説の中川五郎氏によると、ドノヴァンは1945年5月10日、スコットランドの港町グラスゴーで生まれた。10歳までこの町で過ごし、家族とともにロンドンに移り、18歳ではじめてのデモテープを作ったという。デビュー当時はアメリカン・フォーク・シンガーのイメージであったようで、「外見的にもディランやその師であるアメリカの偉大なフォーク・シンガー、ウディ・ガスリーを強く意識していた」とライナーには書かれている。このベストアルバムに収められたものの中では、1965年の「キャッチ・ザ・ウィンド(トラック10)」、アルバム「フェアリーテール」に収められた、同じく1965年の「カラーズ(トラック8)」がそれにあたるだろう。

これが1966年のアルバム「サンシャイン・スーパーマン」に収められた、「サンシャイン・スーパーマン(トラック2)」と「シーズン・オブ・ザ・ウィッチ(トラック6)」ではリズム感を強く打ち出し、ベースやエレクトリックギターを効果的に使うなど、がらりと様子が変わる。同じ年のアルバム「メロー・イエロー」からのタイトル曲「メロー・イエロー(トラック7)」では、ポップな路線を打ち出している。こうしたドノヴァンの曲を聴いていると、どうしてもビートルズと比べたくなるのだが、ビートルズといえば1966年は「リボルバー」を発表した頃で、次の年1967年に「マジカル・ミステリー・ツアー」「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハイツ・クラブ・バンド」を発表するのだから、ビートルズもドノヴァンの曲からメロディーやコーラスについて影響を受けたのではないだろうか。

1967年の作品として「エピスル・トゥ・ディピー(トラック1)」「霧のマウンテン(ゼア・イズ・ア・マウンテン)(トラック3)」「天国の愛につつまれて(ホエア・ユア・ラブ・ライク・ヘブン)(トラック5)」が、1968年の作品として「ジェニファー・ジュニパー(トラック4)」があるが、これらも実にビートルズ的ポップさを持った曲だ。そして同1968年の「ハーディ・ガーディ・マン」は俺にとって忘れられない曲だ。この曲はスティーブ・ヒレッジのアルバム「L」で何度も聴いた。そして最後は同じく1968年の「ラレーニア(トラック11)」。美しい曲だ。

このベストアルバムは1969年に編集されたものだ。このとき「キャッチ・ザ・ウィンド」と「カラーズ」はあらためて録音し直されたらしい。俺としては年代順に聴ける方がよかったのに、と思うのだが、そう思わないか?このCDは日本盤だ。

2003.11.4