Heavy’n Jazz / Jaco Pastorius


このアルバムを聴こうか聴くまいか散々悩んだ。というのも俺の心の中には、1984年にギル・エバンス・オーケストラと共に来日し、ライブ・アンダー・ザ・スカイで見た情けない姿のジャコ・パストリアスが、いまだに生々しく残っているからだ。かつてウエザー・リポートの一員として、狂おしいほど官能的なベース・プレイで俺たちの心を魅了し、若くして逝ってしまったジャコ・パストリアス。お前はなんて罪作りな奴なんだ。

ジャコ・パストリアスが亡くなったのは1987年9月21日。このCDには1986年12月にイタリアのローマで行われたコンサートが収められているのだが、当時は既にかなり荒んだ状況であったらしい。1984年の日本公演でもベースにディストーションを効かせて俺を面食らわせたのだが、このステージでも同じような様子である。ジャコ・パストリアスは晩年「俺はジミ・ヘンドリックスの生まれ変わりだ」と言ったと伝えられ、このライブでも「パープル・ヘイズ」を演ったりしている。だがそれは彼の「自分隠し」のジョークであったと考えるのが妥当である。恐らくジャコ・パストリアスが格闘したのは、オーネット・コールマンのハーモロディックなのだ。ジャズというある種「定形」の音楽から、いかに自由に演奏するか。彼のベース・プレイから想像できる「完璧症」的な性格が、音楽理論から自由になれない反動を、自らの体への自虐へ向けたのではないだろうか。

ジャコ・パストリアスはパット・メセニーのファーストアルバムでオーネット・コールマンの「ラウンド・トリップ/ブロードウェイ・ブルース」に挑戦している。しかしここではジャコ・パストリアスはオーネット・コールマンの音楽を理解しているとは言い難い演奏だった。このコンサートでも1曲目にオーネット・コールマンの「ブロードウェイ・ブルース」を取り上げている。冒頭、激しいディストーション・サウンドでハーモニックスを連打するジャコ・パストリアス。彼はいったいどこへ行こうとしていたのだろうか。そして精気のないだらだらとしたベースプレイが続くが、手馴れたプレイから伺えるのは、ジャコ・パストリアスはこの曲に惚れ込んでいる、ということだ。曲が進んでいくにしたがって、ある瞬間からジャコのベースが突然、精彩を帯びてくる。音の粒立ちが良くなり、ぐいぐいと曲をリードし始める。だが、この凄い瞬間は長くは続かない。ジャコはベースを弾くのを止め、曲はドラムとギターのみになってしまう。テーマがやってきて再びジャコのベースがユニゾンを刻むが、テーマの途中でいきなりディストーション・ベースのソロを勝手に取り始める。トリオのメンバーとして、これほどやりにくい相手はないだろう。

続いてジャコ・パストリアス自身によるメンバー紹介があり、「ブルマ〜スモーク・オン・ザ・ウォーター」「パープル・ヘイズ〜ザ・サード・ストーン・フロム・ザ・サン〜十代の町」「アメリカ国家」と奇妙な選曲が続く。とりわけ「アメリカ国家」でのジャコ・パストリアスはめろめろだ。トラック5はジャコ・パストリアス作曲の「レザ」だが、ここでは軽快なプレイをみせてくれる。トラック6「オネストリー」もジャコ・パストリアス作曲のベースのソロ曲。ここでも彼でしか味わえないものをみせてくれるが、かつて絶好調の時期のプレイとは程遠いものがある。最後のトラック7は「インビテーション」。ベース・ソロが大きくフューチャーされており、それなりにプレイできてはいるが、やはり、痛々しい。

ジャコ・パストリアスが何故ジミ・ヘンドリックスの名前をあげ、コンサートでも彼の曲を取り上げるのか。ブルースあるいはロックというものは、ジャズに比べて自由度が高い音楽だ。そういう意味では「音楽的自由」を求めたジャコ・パストリアスにとって、確かに突破口になり得たかも知れないと言う事もできる。このCDは1997年にフレイバー・オブ・サウンドから発売された日本盤だ。ジャズ・ベースの世界に革命を起こし、音楽と共に生き、音楽に翻弄されて逝ってしまった男の記録だ。残された俺たちにできることは、奴の残した音楽を味わい尽くすことだけだ。

2003.8.17