ニュースサイトをぼんやり眺めていると、コンパイ・セグンドが亡くなったとの文字が目に飛び込んできた。ハバナ発ロイター通信によるもので、13日、ハバナの自宅で腎臓疾患のために死去した、とある。95歳。遺体は生まれ故郷のキューバ東部サンチアゴに埋葬される予定らしい。年齢からして、予期せぬ出来事、ということはないのだろうが、映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を見てキューバ音楽の素晴らしさに気づかされ、もっと聴きたいと思っていたところだった俺は、驚きと悲しみにまみれた。
実のところ、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」では、イブライム・フェレールの方がボーカリストとして俺には魅力的に思えた。艶と張りのある声を持つイブライム・フェレールを「黄金の声」だとすれば、コンパイ・セグンドの声はいぶし銀の渋さに喩えられよう。このソロ・アルバムを聴いてから、俺はコンパイ・セグンドの声に魅せられていった。コンパイ・セグンドは1907年11月18日生まれ。このアルバムを発表したとき、彼は93歳だった。
ライナーには、このアルバムのために語ったコンパイ・セグンドの言葉が、次のようにある。「本当に大事なことは、ほとんどいつも思いがけなく起こるもんだ。夢にみてた好機、成功、愛・・・そんなものがいつ訪れるかなんて、誰にも分からないものさ。でも、準備して油断せずに気を配ってなきゃならない。そういった流れは、普通、2度は現れないからさ。」
「私はこの年でそんなことが起こるなんで信じてなかった。でも、注意して気は配ってた。そしたら、驚いたことに、90歳を超えようというときに人生の花が開いた。私は、自分が成功したことに気づいたし、こうやって受け容れられている。心臓が動いている間は年をとり過ぎるってことは決してないのさ。」
そうして彼は、このアルバムに収められた曲のことを丁寧に解説してくれる。キューバ音楽の伝統のこと、偉大な作曲家のこと、コンサートのこと、一緒に演奏したミュージシャンのこと。
「疑いなく、キューバのポピュラー・ミュージックの最も普遍的な歌は。ホセイート・フェルナーンデスによる『グアンタナメラ』だ。彼は私のすばらしい友人だった。彼の住んでいる家を訪れるたびに、彼の娘がいつも私を家族の一員として歓迎してくれた。彼のギター、椅子から掛かっている彼の軽いジャケット、彼の帽子・・・それらを見ると、彼の音楽を聴いているような気持ちになる。彼はハバナ出身だったが、カントリー・ミュージックにも精通していて、まるで東部で生まれたかのようだった。私のコンサートはすべて、ホセイートを追悼して『グアンタナメラ』で終わる。それが私がこの曲をレコーディングすることに決めた理由だ。この歌には数え切れないほどのアルバムに収められた何百というバージョンがあることを私は知ってるが、コンパイという世界で最も年とったミュージシャンは、決してレコーディングしなかった。さあ、やっとその時がきたね、皆様方!」
アルバムタイトル「ラス・フローレス・デ・ラ・ビダ」は「人生の花」。アルバム2曲目のタイトルでもある。この曲を聴きながら、コンパイ・セグンドの言葉をかみしめ、また、涙が出てきた。
人生の花はなんて美しいんだ
遅かれ早かれ魅力をかかえたその花は
君のもとにやってくる
ほらよく見て、もうやってきた
その温もりで君のインスピレーションを湧かしに
人生はなんて美しいんだ 愛はなんてすばらしいんだ
人生はなんて美しいんだ 愛はなんてすばらしいんだ
「ほかにも語らなければならない曲があるが、いい映画の場合と同じで、語り過ぎることでその感動が減ってしまうことはよくない。必要な注意力を持って聴く人がよく分かるように、本質はちゃんと残しておかなければならない。それらの曲はまた、予期しない驚きでなければならない。人生の花が咲くときは、間違いなくあなた方すべてにいつか訪れるものだから、疑ってはいけない。そして、私は忠告する。それらを真剣に楽しむ好機が、知らぬ間に立ち去らないように、非常に注意して気を配っているようにってね。」
このアルバムは2001年に発表された。このCDはワーナーミュージック・ジャパンから発売された日本版だ。来日公演を受けて作られたもののようで、国内プレスとあるから、もしかしたら日本だけで発売されたものかもしれない。俺にとって、一生の宝物となるアルバムだ。
2003.7.18