Up / Peter Gabriel


このアルバムが発売されたとき、インターネットの掲示板にこう書かれた投稿を見た。「10年待った甲斐のないアルバムだ。がっかりした。」そこでこのアルバムを聴くにあたっては、できるだけ無心であろうとした。それがよかった。このアルバムで出会えたピーター・ゲイブリエルは、ひたすら自然体だったからだ。

基本的にこれまでの手法をより推し進めた表現を取っているアルバムと言っていいだろう。参加ミュージシャンも顔なじみのメンバーだ。冒頭の投稿をした人も、表面的には音楽的に斬新さが感じられないことを不満に思ったのに違いない。だが耳を澄ませてよく聴いてみろ。ひとつひとつの音には細心の注意が払われており、完成度を高めるための惜しまぬ努力が、至る所にある。

冒頭1曲目の「ダークネス」は、静かに吶吶と打たれる柔らかな打楽器の音が、一転してアグレッシブな音の洪水に変わり驚かされる。だが意表を突くような展開は、アルバム全体を通してこの部分だけであり、この後の曲はすべてじっくりと聞かせる曲ばかりである。心の内面を描いたものが多い。「ダークネス」は、自分でも理解しがたい心の中の恐怖を語っており、4曲目の「ノー・ウェイ・アウト」と5曲目の「アイ・グリーヴ」は、死を連想させる別れを描いた曲である。7曲目の「マイ・ヘッド・サウンズ・ライク・ザット」は、頭の中に色々な音が響いてくるということから、自分が自分としてあることの確からしさ、のようなことを自問している。9曲目「シグナル・トゥ・ノイズ」は、充満するノイズを打ち払って、自分が正しいと思う信号を発せよ、というようなもの。10曲目「ザ・ドロップ」は、飛行機から「何か」が落ちてゆく、それを見ながら様々な思いをめぐらせるという風景で、おそらくこれがジャケットデザインに繋がったのではないかと思わせる。静かな曲だ。

これらに比べて、3曲目の「スカイ・ブルー」と8曲目の「モア・ザン・ディス」は比較的ポジティブな意味を持っている。「スカイ・ブルー」は「旅に疲れてしまったけれど、スカイ・ブルーは誰にも否定できず存在する」と歌われていて、自然を間接的に称えた歌だと俺には感じられた。「モア・ザン・ディス」のメッセージはよりダイレクトだ。心が押しつぶされそうな時に聞いたら、きっと大声で泣いてしまうに違いない。「持っているもの全てを失ったとしても、それ以上のものがやってくる。僕は一人でいるけれど、君と繋がっていることを感じるよ。僕はいる。あなたのすぐ隣に。もっと。もっと。もっと多くのことがやってくるよ。」

ひとつだけ雰囲気の異なる曲がある。それは6曲目の「ザ・バリー・ウィリアム・ショウ」だ。視聴者を刹那的に喜ばせ、視聴率が上がることだけを目標とする架空のテレビ番組を皮肉っている。アルバムのちょうど真中にあって、劇中劇のような印象を受ける。アイロニックな曲はこれだけだ。

紹介するのが最後になってしまったが、2曲目の「グローイング・アップ」。この曲は大いに気に入った。7分以上の大作で、この曲を聴き終わったとき、早くもアルバム一枚を聴きとおしたような充実感に浸ることができた。歌詞は抽象的で捕らえどころがないのだが、成長し、心の中へ入り、生きる場所を探し、と繰り返された後、死を予感させられるような言葉で締めくくられる。だが決して悲観的には感じられないのだ。生命の輪廻のような意味が歌われていると受け取れるが、もちろん、これは、聴く人それぞれが感じるままで、いい。

リズム、メロディ、ハーモニー、詞、そしてジャケットデザインを含めて、全てがピーター・ゲイブリエルの世界に包まれたアルバムだ。ポップ性は高いと思うのだが、この奥深さは万人に楽しめるものではないのかも知れない。このアルバムは2002年に発表された。このCDは東芝EMI株式会社から発売された日本盤だ。日本盤はボーナスディスクが付けられた2枚組となっている。CD盤の表は部分的にしか印刷がなく、表裏がわかりにくいデザインとなっている。ジャケットのデザインとあいまって、クールな雰囲気だ。そうそう、このジャケット。近くで見ていたときは気付かなかったが、ピーター・ゲイブリエルらしき顔がバックに浮き上がっているじゃないか。わかるか?

2003.7.16