Comme A La Radio / Brigitte Fontaine


とても不思議なアルバムだ。いや「不思議」というだけでは言い足りないかも知れない。そしてこの不思議さはヘッドホンで聴いてみると深く味わえる。ひとつひとつの音の処理にこだわりがあるからだ。とりわけ音の定位に工夫がされている。1曲目のタイトル曲「CommeALaRadio/ラジオのように」に神経を集中して聴いていると、頭がばらばらになりそうだ。リズムを打つのはおそらくバスドラムと思われる音だけだ。そして控えめなウッドベースの音は左チャンネルだけからしか聞こえない。メロディーらしいフレーズはトランペットとフルートが微妙なタイミングで音を織り重ねながら作り出している。2曲目「Tanka2/短歌2」では極端にリミッターで音をつぶしてリバーブを深くかけたコンガであろうリズムとベースの音はセンターに位置されていて、まるで地の底から響いてくるようだ。3曲目「LeBrouillard/霧」ではさらに極端にデフォルメされたリズムとバグパイプのような音が使われている。ここでも音をセンターに定位することで深みを出している。4曲目「J’Ai26Ans/私は26才」は主に左チャンネル側から聞こえるウッドベースにフォンテーヌの歌が重なるが、途中で曲を邪魔するかのように右チャンネルからバイオリンの音が入ってくる。5曲目「L’eteL’ete/夏」でも伴奏は控えめだ。シタールのような音とトランペット、チェロのような低音の弦楽器、そしてギターの音が渾然一体となっているのだが、音が調和したかと思えばちぐはぐに離散していく、その様はオーネット・コールマンの音楽に近い。

6曲目「Encore/まだ」からアルバムはさらに前衛的に変貌してゆく。虫の鳴くようなノイズに詩を朗読するかのようなフォンテーヌ。詩の意味も重い。7曲目「Leo/レオ」は現代音楽のようなインプロビゼーションの最後に詩が読まれる。8曲目「LesPetitsChevaux/子馬」はフォンテーヌの独唱で、ここでも左から右へと定位を変化させることで広がりを出している。9曲目「Tanka1/短歌1」でようやく楽曲といえるものが聴ける。10曲目「LettreAMonsieurLeChefDeGareDeLaTourCarol/キャロル塔の駅長さんへの手紙」はギターやバイオリン、パーカッションの音がエキゾチックな雰囲気を盛り上げてゆく。ここまでがオリジナルアルバム収録曲だ。

11曲目「LeGoudron/やに」と12曲目「LeNoirC’estMieuxChoisi/黒がいちばん似合う」はボーナストラックだ。こちらも異彩を放ってはいるが、アルバム収録曲ほど異形ではない。魂を抜かれたようになるアルバムだが、この2曲で少し正気を取り戻すことができるような気がする。

ジャケットの裏には「Brigitte Fontaine Areski Avec Art Ensemble Of Chicago」とある。ライナーには「『ラジオのように』は、ブリジット・フォンテーヌという病的なエロスを放つ異色のシャンソン歌手、そのパートナーでシタールなどの民族楽器を操るうさん臭い雰囲気のアレスキー・ベルカセム、そして形式に囚われていたジャズを解放しようと60年代後半に登場した前衛ジャズ集団アート・アンサンブル・オブ・シカゴの三者のセッションから成り立っている」と葉山ゆかりさんが書いている。ブリジット・フォンテーヌについては「ブリジット・フォンテーヌは、1939年、フランス、ブルターニュ地方のモルレで生まれた。ジャズにかぶれてソルボンヌ大学を中退した後、芝居の勉強をしながら作詞を始める。63年からパリの左岸のキャバレーで唄い始め、ニコラ・バタイユに認められて”禿げの女歌手”に出演したり、ボリス・ヴィアンの曲を歌ったりした。その頃、名プロデューサーのジャック・カネッティに認められ、歌手としてのステップを歩み始める。この頃の演奏は、ジャック・イジュランとの共作で、ジャック・カネッティ・レーベルより出た2枚のアルバムに収められている。その後、ピエール・バルーが中心になって作ったサラヴァ・レーベルから、4枚のアルバムをリリース。『ラジオのように』は2枚目で、この頃からアレスキーがパートナーとなり、彼女をサポートするようになる。この関係は、今でも続いている。」とある。

いかにも普通のジャケットであるにもかかわらず、ミュージック・マガジン増刊「プログレのパースペクティヴ」に「未だに当時と同じ衝撃力でもってリスナーを慄然とさせる」と渡辺了によって絶賛されたアルバム。これがきっかけで手に入れたアルバムだ。アート・アンサンブル・オブ・シカゴの名前があったことも興味を引いた理由だった。そして本当にこのアルバムは凄かった。

このアルバムが何年に発表されたのかはっきりとした記述がないのだが、1972という数字が書かれている。前述の「プログレのパースペクティヴ」によると1970年ということだ。このCDはサラヴァSaravah/オーマガトキOmagatokiから発売された日本盤だ。


2001.7.24