Now It Can Be Told / DEVO


グロテスクなジャケットのアルバムだが、内容的には決してグロテスクなものではない。とっても爽やかでエネルギッシュなアルバムだ。だからこそ俺はなおさら驚いた。

邦題は「退廃的美学論」であったディーヴォのファーストアルバムが発売されたのは1978だったはずだ。プロデュースはブライアン・イーノ、エンジニアはコニー・プランクということでも有名だった。もしかしたらロボットではないかと半分冗談で噂されたこともあるBob1、Bob2と呼ばれた匿名性のあるギタリスト、プラスチックというか宇宙遊泳的というか、キッチュと言えばいいのか、TVを意識したイメージ戦略も絶妙だった。オハイオ州アクロンという土地が一躍有名になり、アクロン出身のバンドによるコンピレーションアルバムが編集されたりしたことも記憶に新しい。

当時ディーヴォはどのように受け止められていただろうか。新しいロックの潮流としてパンクとテクノがあった。セックス・ピストルズに代表される卑野で攻撃的なパンクと、クラフトワークに代表される冷たく無機的なテクノ。とはいえ実はテクノの本質は非肉体的ではあっても決して無機的ではなく、脳内的なグルーヴ感にあふれているのだが。言ってみれば電子回路の中をMHz単位でかけまわる電子の粒ってかんじかな。高速のCPUが熱くなるのと同じように、テクノを聴くと体は動かなくても脳が熱くなる。

今になって冷静に考えてみれば、音楽の本質とは単純なものだと気づくのだが、ディーヴォはパンクなのかテクノなのかなどと考えてみるのも楽しくていい。このアルバムを聴くとそんな気持ちにもなる。このアルバムはディーヴォの1988年のコンサートを収録したものだ。冒頭の曲はギターのアルペジオにのって朗々と歌われるトラッド・フォークソングだ。俺は驚いた。

だいたいセカンド・アルバム以降、どうも俺が考えていたバンドと違うなあ、という思いを持ちながらディーヴォを聴いてきた。このことをマスメディアでは「コマーシャリズムに落ちた」とか「ファースト・アルバムは実質的にイーノのアルバムだ」とか言われていたように思う。だからこのアルバムを最初に聞いたとき、やはり落ちるところまで落ちたのかと早合点した。だが聴きすすんでいくと決してそうではなかった。そして実際のところディーヴォは当初から、ピュアなロックバンドであったのではないかということに気づかされる。

1曲目で聴かれるトラッド・フォーク風にあしらわれた曲は、時代を代表する彼らの歴史的ファースト・アルバムからの「ジョコ・ホモJockoHomo」だ。あらためて牧歌的にアレンジされたこの曲を聴き、彼らの意図がどこにあるのだろうかと思いをめぐらせる。そしてまさにテクノ風の軽快な曲が続くのだが、中盤がすごい。ローリング・ストーンズの名曲のねじくれた編曲で有名になった「サティスファクションSatisfaction」に続き、ファースト・アルバムの冒頭1曲目に収められていた「アンコントローラブル・アージUncontrollableUrge」が爆発する。すごい、の一言だ。多くのロックバンドはファーストアルバムに全てのエネルギーが詰まっている、というのが俺の持論だが、まさにこの一曲にディーヴォのパワーの源を感じる。この曲を聴くだけでもこのCDを買えと言いたくなるぞ。

このアルバムは1989年にEnigmaRecordsから発売された米盤のCDだ。


2000.3.18